2009年09月19日

めでたし、女王よ

●めでたし、女王よ(松下耕作曲)

「めでたし、女王よ(Salve Regina, サルヴェ・レジーナ)」とは、4曲ある「聖母マリア讃歌」のうちの1曲。カトリックでは、聖務日課の最後に、この「聖母マリア讃歌」のうちの1曲を歌うのだそうです。

「サルヴェ・レジーナ」には、ルネサンス期から現代に至るまで、とても多くの人が曲をつけています。

松下耕さんは、1962年生まれの作曲家・合唱指揮者。現役でバリバリ活躍されている方です。

「めでたし、女王よ」は、アカペラの女性4部合唱曲として作られたもので、『聖母への祈り』という曲集に収録されています。

私たちはこれを、3本のバス・リコーダーと1本のグレートバス・リコーダーで演奏します。

たった4つの声部から成る曲ですが、なんとも深い響きがします。もちろんこの響きの深さは、そのまま聖母マリアへの祈りの深さにつながるわけです。

私たちは、この深い響きをもって旗上げコンサート本編の幕を閉じることにしました。
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2009年09月18日

Believe

●Believe(杉本竜一作詞・作曲)

もともとはNHKの番組『生きもの地球紀行』のテーマ曲として作曲されたのだそうです。今では小中学校などでも盛んに歌われていて、ある年齢以下の若い人なら誰でも知っている曲です。若者ぶりたい人は、知っているフリをしましょう(^_^;)。

こういう曲ってありますよね。最近では、宮崎駿アニメ『千と千尋の神隠し』のテーマ曲「いつも何度でも」なんかが、同じように“日本の歌”としてのスタンダードナンバーになりつつある気がします。

歌詞は……ネットで検索してみました。
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/believe.html

セイ・オーワダの編曲では、SATBの編成で、リズムを刻みつつ飛び跳ねるバスがカッコよく書かれています。
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2009年09月17日

村祭り

●村祭り(南能衛作曲・作詞者不詳/文部省唱歌)

“むーらのちんじゅのかーみさまの”という、あの「村祭り」です。歌詞を見ただけですぐに頭にメロディが浮かんできますね。

 村祭り
 
 村の鎮守の神様の
 今日はめでたい御祭日
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 朝から聞こえる笛太鼓
 
 年も豊年満作で
 村は総出の大祭
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 夜までにぎわう 宮の森
 
 みのりの秋に神様の
 めぐみたたえる村祭
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 聞いても心が勇み立つ

3番の歌詞はもともとは違っていて、このようなものだったそうです。

 治まる御代に神様の
 めぐみ仰ぐや村祭
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 聞いても心が勇み立つ

戦後民主主義の流れの中で、イデオロギー的に問題ありとして書き換えられたんですね。

こういう曲はほかにもたくさんあります。まあ、書き換えについては色々ご意見があるでしょうが、私は一部を書き換えることで良い曲が生き返るのなら、それも一つの方法ではないかと思います。

私がいつも「復活させて欲しい」と思っているのは、「冬の夜」(文部省唱歌)という曲です。

 冬の夜

 ともしび近く衣縫う母は
 春の遊びの楽しさ語る
 いならぶ子どもは指を折りつつ
 日数かぞえて喜び勇む
 囲炉裏火はとろとろ
 外は吹雪
 
 囲炉裏のはたに縄なう父は
 過ぎし戦の手柄を語る
 いならぶ子どもは眠さわすれて
 耳を傾けこぶしを握る
 囲炉裏火はとろとろ
 外は吹雪

とても美しい曲なんですが、2番の歌詞に問題ありということで歌われる機会が極端に少なくなっています。これなども、書き換えて曲が生き返るのなら、そうしてもよいのではないかと私は思います。

話を「村祭り」に戻します。

私たちがふつう「祭り」というと、「夏祭り」か「秋祭り」を思い浮かべますね。

もちろん調べれば「春祭り」もいろいろあります。「雛祭り」「花祭り」がありますし、ストラヴィンスキーの「春の祭典」も春の祭りを扱ってますね。オルフが曲をつけた「カルミナ・ブラーナ」も、春のお祭り気分を歌っています。

「冬祭り」……という言葉はあまり聞きませんが、クリスマスなんかは冬の祭りということになるんでしょうか。

「夏祭り」は、日本では盆踊りなど盂蘭盆ゆかりのいろいろなお祭りが各地で開かれますし、ねぷた祭り、七夕祭り、阿波踊りなど各地の大規模な祭りもあって、夏はまさに祭りの季節という感じがします。

これに対して「秋祭り」は、これは洋の東西を問わず、収穫祭ですね。作物の収穫を喜び、神や自然に感謝する祭りです。

「村祭り」の歌詞を見ると、2番に「年も豊年満作で」とあり、新しく書かれた3番の歌詞にも「みのりの秋に」とありますので、これは秋祭りですね。

秋祭り・収穫祭というと、私はすぐに二つの曲を思い浮かべます。ハイドンのオラトリオ《四季》と、ヴィヴァルディの協奏曲集《四季》です。

ハイドンの《四季》第三部「秋」では、豊作のワインを飲んで、どんちゃん騒ぎをします。

 ばんざい、ぶどう酒だ
 樽はいっぱいだ
 さあ愉快にやろうぜ
 ばんざい、ばんざい
 声をかぎりに叫ぼうぜ

ヴィヴァルディ《四季》のうちの「秋」にも、似たような情景を歌ったソネットがついています(第1楽章)。

 村人たちは歌や踊りで豊作を祝い
 バッカスのように酒を飲み
 眠るまで楽しむ

「村祭り」では、まあ文部省唱歌だということもあるんでしょうが、お酒飲んで酔っ払ったりはしません。けれども、豊作を祝ってどんちゃん騒ぎをするという点では、ハイドンやヴィヴァルディが歌ったヨーロッパの農家と全く同じです。

人間のやることって、あまり変わらないのかも知れませんね。

あ、編成はSATBです。
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2009年09月16日

バッハ:フーガ〜平均律クラヴィーア曲集第2巻第12番

●バッハ:フーガ〜平均律クラヴィーア曲集第2巻第12番 BWV881

バッハのポリフォニー技法の到達点の一つである《平均律クラヴィーア曲集》。とりわけその第2巻は、高度な対位法を駆使して、バッハならではなしえなかった高密度な作品群となっています。

ここでは第2巻全24曲の中から、第12番のフーガを演奏します。

3声のフーガです。原曲のヘ短調をハ短調に移調しています。4分の2拍子のはっきりしたリズムの上に、なんと豊かで緊密なドラマが展開されていることでしょうか。編成はATB。

国分寺在住の作曲家・服部完治さんの編曲です。
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2009年09月15日

こんぴらふねふね

●こんぴらふねふね(香川県民謡)

香川県(仲多度郡琴平町)にある金比羅宮へお詣りをするときの道中歌だそうです。どうりでウキウキした旅の楽しさに満ちていますね。

金比羅詣りは、明治初年まで、伊勢詣りと並んで日本人の憧れの旅でした。

そういえば、清水次郎長伝の中にある「石松代参」というくだりは、森の石松が次郎長親分のかわりに金比羅様にお詣りするというシチュエーションでした。

といっても、この歌が流行ったのは江戸末期から明治初年といいますから、比較的新しい民謡ということになります。

 金毘羅船々
 
 金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
 まわれば 四国は讃州 那珂の郡
 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば
 
 金毘羅御山の 青葉の陰から キララララ
 金の御幣の 光がチョイ射しゃ
 海山雲霧 晴れわたる 一度まわれば
 
 金毘羅石段 桜の真盛り キララララ
 振袖島田が サッと上る
 裾には降りくる 花の雲 一度まわれば
 
 阿波の殿様 蜂須賀様だよ シュラシュシュシュ
 私ゃあなたの そばそばそばだよ
 ほんとに金毘羅大権現 一度まわれば

 御宮は金毘羅 船神様だよ キララララ
 時化でも無事だよ ぼんぼりゃ明るい
 錨を下して 遊ばんせ 一度まわれば

「船神様」とあるように、海上交通の守り神だそうです。

メロディは、ドレファソラの律音階から成っています。

セイ・オーワダはここで、「こんぴら」モティーフと「シュラシュシュシュ」モティーフを、幾度も折り重ねることで曲を構成しています。

途中、「平行5度」という作曲法上の禁則を故意に用いることで、面白い効果を上げています。
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2009年09月14日

モーツァルト:もう飛ぶまいぞ

モーツァルト『フィガロの結婚』からもう1曲は「もう飛ぶまいぞ」です。

オペラの中の順番では、「もう飛ぶまいぞ」のほうが「恋とはどんなものかしら」よりも先に歌われるんです。「もう飛ぶまいぞ」は1幕の最後、「恋とは…」は2幕の序盤で歌われます。

●モーツァルト:もう飛ぶまいぞ〜歌劇『フィガロの結婚』

フィガロ(バリトン)が出征するケルビーノに歌う励ましの歌。……といっても、内容を見ると、激励に見せかけた皮肉の歌なんです。

ご婦人たちの尻を追いかけ回しているケルビーノを、花から花へ飛び回る蝶々に喩えているんですね。で、出征してもうそれができなくなるから、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と。

なぜかというと、自分の女房にまで手を出されて怒った伯爵が、ケルビーノをクビにする代わりに徴兵を命じたんです。兵士として戦争に行かなければならない。フィガロだって、自分の婚約者に手を出されているわけですから、反対のわけはない。きっと「ざまあみろ」ぐらいに思っているでしょう。

そのために、激励に見せかけた皮肉の歌を歌う、それがこの「もう飛ぶまいぞ」なわけです。

歌詞の内容を要約すると、「もう女たちを惑わしには行けないぞ。重い荷物背負って泥道を行進だ。軍人の栄光めざしていざ行け!」というようなことになりましょうか。

北御門さんのアレンジ、編成はSATBで、フィガロの歌は、はじめのうちはソプラノが担当しますが、曲の中ほどからは主にバスリコーダーが担当します。ハーモニーを支える低音部が、ほぼそのままフィガロの歌になっているわけです。

私たちの耳は、何気なく聞いているとつい高い音ばかり追いかけがちになりますが、低音部にも注目して聞いていただくと、より曲の全体像が見えてくると思います。
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2009年09月13日

モーツァルト:恋とはどんなものかしら

モーツァルトのコーナーでは、歌劇『フィガロの結婚』から2曲演奏します。いずれも北御門文雄さんのアレンジ。

全音楽譜出版社から出されている『リコーダー四重奏曲集6/モーツァルト・オペラアリア名曲選』に収録されているので、リコーダー・アンサンブルをやっている人なら、きっと一度は吹いたことがあるのではないでしょうか。

●恋とはどんなものかしら〜歌劇『フィガロの結婚』

若者ケルビーノのアリアです。ケルビーノは、思いを寄せている伯爵夫人たちの前で、こう歌います。“恋とはどんなものか知っている貴女たち、さあみてください、私が胸に恋を抱いているかどうかを…”。

もちろん彼は胸に恋を抱いているわけです。というか、ケルビーノの胸は恋心でいっぱいなのです。

それもそのはず、ケルビーノは恋に恋するお年頃なんです。……と、これは非常にきれいな言い方でして、端的に言えば、まあ、発情したオスなわけです(^_^;)。

その証拠に、彼は伯爵夫人に思いを寄せているだけではなく、フィガロの婚約者スザンナにも、庭師の娘バルバリーナにも思いを寄せるのです……。要するに、ご婦人と見れば見境なく“恋心”を抱いてしまうわけです。

まあ、思春期の男ってそんなもんです。そのリビドーの、混じりっけのない純粋さを私は信じています(^_^;)。

話が横道にそれました。

発情した若い男の、奔流のようなリビドーを表現するのに、こんなにも美しい曲を書いてしまったところに、モーツァルトの天才と悪戯心があると私は思います。

なに? モーツァルトに対して失礼?

いえいえ。モーツァルトが頂点を極めたオペラ・ブッファというのは、基本的に「お笑い」ですから、まずは「お笑い」として楽しむのがよいと私は考えます。

ところで、ケルビーノを演じるのはメゾソプラノなんです。つまり、女性が男性役をやるわけ。

すると、ケルビーノがご婦人に対して恋を語るような場面では、女性同士の、ちょっと倒錯した魅力も醸し出されるんですね。

はたしてモーツァルトがそこまで計算したのかどうか……うーん、私は計算したと思いますけど。

北御門さんのアレンジ(SATB)では、歌と伴奏がはっきりと分かれています。Sは歌い続け、ATBは終始一貫伴奏します。Sはいかに気持ちよく歌うか、下3声はいかにSに気持ちよく歌ってもらうかが演奏のポイントになりますね。
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2009年09月12日

ドラキュラ

●ドラキュラ(西エリカ作曲)

作曲者の西エリカさんは、これを作曲した当時まだ子どもでした。つまりこの作品は、子どもの作った曲なのだそうです。

詳しい事情は存じませんが、コンクールかなにかで受賞した曲だったとか……。その辺のことは、当日のステージ上で、セイ・オーワダが知っている範囲でしゃべってくれるでしょう。

子どもが作った曲だからとばかにしてはいけません。リズム、ハーモニー、表情すべてにおいて魅力たっぷりの曲です。ドラキュラの、あるいは近づき、あるいは遠ざかる、恐ろしい足どりが、幾分かの滑稽味をまじえながら見事に表現されています。

演奏時間1分15秒ほどの短い曲ながら、とても楽しい曲です。吹いていても楽しい。

SATB。
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2009年09月11日

バッハ:アリア〜管弦楽組曲第3番

●バッハ:アリア〜管弦楽組曲第3番 BWV1068

一般に「G線上のアリア」として知られている曲です。曲についてくどくどと解説する必要はないでしょう。

原曲はニ長調ですが、ヘ長調に移調しています。グレートバスを使ったSATGという編成です。

声部の絡み合いの妙、幸福感に満ちた美しいメロディをお楽しみいただければと思います。

余談を少し。

映画やテレビCMなどで盛んに使われているこの曲ですが、私が一番印象深かったのは、映画『お葬式』(伊丹十三監督、1984年)での使われ方です。

葬儀という日常と非日常とが交錯する時間の中で、人々の悲しみと滑稽さが同時に浮かび上がる、というのがこの映画の眼目だと思いますが、ある滑稽な場面がスローモーションで映し出されたときに、この「アリア」が流されるんです。

「うわ、ここでアリアかよ」と思いました。映像と音楽とが一瞬にして手を結び合って、伊丹十三的とでも呼ぶほかない時間が作り出されました。

その選曲の素晴らしさは、『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968年、アメリカ)のヨハン・シュトラウスに匹敵するのではないでしょうか。
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2009年09月10日

吾亦紅

第二部で「千の風になって」の次に演奏する曲です。

●吾亦紅(杉本真人作曲、ちあき哲也作詞)

2007年に大ヒットしたフォーク演歌。

杉本さん(歌手としてのお名前は「すぎもとまさと」)は2007年の「紅白歌合戦」に58歳で初出場されたそうです。初出場の最年長タイ記録とか。

歌詞を読むと、人生の悲哀が沁み込んでいます。

歌詞は検索すればすぐに見つかりますが、例えばこちらに。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND57302/index.html

親不孝を重ねた息子が、郷里に死んだ母の墓参りをする。お盆には仕事で帰れなかった埋め合わせである。

母は、この町に嫁いできて、この町しか知らない女だった。母が住んでいた家は、いまはいとこが住んでいて、灯りがともっている。

男は、「親のことなど気遣う前に、後で恥じない自分を生きろ」という母の言葉を思い出しながら、「来月で俺、離婚するんだよ。そう、初めて自分を生きる…」と心の中で答える。

泣けます。

セイ・オーワダの編曲も素晴らしくて、休符の多いメロディを巧みに生かしています。バスのリズムパターンは、70年代歌謡曲のようなベタな感じですが、それがまたいいんです。

「千の風になって」は「お墓の中に自分はいません」という曲、そのすぐ後に演奏するこの「吾亦紅」は母の墓参りをする曲です。

だははは。

まあ、こういうちょっとした悪戯を面白がっていただけると、とてもありがたいわけです。
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