2010年08月14日

さくらさくら

演奏曲目について順にメモしておきます。

オープニングはテーマ曲、

●アテニャン:バスダンス“ラ・ブロス”

前回とは少しだけ違う解釈で演奏します。
同じことをやってもつまらないですからね。

続いての第1部は《いにしえの「春」》と題して、春に関する古い曲を3曲。

●さくらさくら

まずは日本における「いにしえの春」を。

お馴染みの日本古謡です。
ほぼミファラシドという都節音階でできています(一ヶ所だけレが出てきます)。

萩久保和明さんが合唱女声三部用に編曲したものを、私がリコーダー用(アルト3本)に直しました。
萩久保さんの編曲はとても良いものです(だからこそ、この編曲を選んだのですが)。
3声でありながら、2つの声部がユニゾンになっていて、2声で鳴っている時間が結構あったりします。
それでいて薄っぺらい感じは全然しません。
琴の音型を模した部分もあって、現代風な中に古式ゆかしい味わいも加わった編曲になりました。

桜は日本の国花ですが、実は時代によって実にたくさんのイメージを背負ってきた花なんですね。

平安時代は、奈良時代に入ってきた中国文化に対して、日本独自の文化を形成しようとした時代ですが、その象徴が桜でした(これに対して中国文化の象徴は梅です)。

奈良時代に編まれた『万葉集』は、桜よりも梅を詠んだ歌が多いのに対して、平安時代の『古今和歌集』では、梅よりも桜の歌が多くなります。

花見が庶民の間に広がったのは江戸時代です(花を見る習慣そのものは平安時代からありました)。上野・寛永寺が発祥だそうです。

幕府はその威信を高めるために名所を作ろうとし、寛永寺に桜を植樹したんですね。ただし、寛永寺は将軍家の菩提寺であることから、どんちゃん騒ぎは禁止でした。

どんちゃん騒ぎの花見が始まったのは享保時代、飛鳥山からでした。享保というと、八代将軍吉宗による「享保の改革」の時代ですね。吉宗は、江戸庶民に溜まった不満を癒す場所として、飛鳥山に桜を飢えました。そして、吉宗自ら花見の宴を開き、酒を飲んで騒いで見せたのです。それから庶民たちもどんちゃん騒ぎをするようになったのでした。

幕末にはソメイヨシノが誕生します。東京は駒込に染井村という村があって、そこの植木職人がつくった品種なんですね。

明治時代半ばには、東京のあちこちにソメイヨシノが見られるようになっていました。それが全国に広がっていくについては、東京に対する憧れがあったのです。そこでは桜は東京、すなわち文明や近代を象徴するものとしてとらえられました。

明治37年の日露戦争以後は、ナショナルなものが強調される時代でした。桜は日本という国の象徴すなわち「国花」として考えられるようになりました。

やがて桜は「軍国の花」としてのイメージが定着していくようになります。

太平洋戦争の時代、桜は「散華(さんげ)」の象徴となります。「潔く散る」ことが一つの美学となり、桜はその象徴となったわけです。

終戦後から高度成長期にかけて、日本人の心は桜から離れていきます。戦後の混乱期、桜は薪にするために伐採されました。高度成長期には道路整備のために桜は伐採されました。

その後、高度経済成長が行き詰まりを見せ始めた昭和30年代末ごろからは、全国各地に桜の植樹運動が起こるようになりました。環境保護の象徴というと大袈裟に過ぎるでしょうが、桜は私たちにとって、季節感の象徴であり、自然の象徴であるとも言えるのではないでしょうか。

(イネガル)

posted by イネガル at 00:30| Comment(0) | 第2回コンサート曲目メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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